スウェード(Suede)-「Dog Man Star (Reissue 2CD+DVD)」はお買い得

ロックミュージックが好きである。特にギターロック。
ギターロックにも色々あるが、その中で好きなギターリストの一人がバーナード・バトラー(Bernard Butler)である。

特にアクの強いスウェード時代の物が。
最近セカンドアルバム「Dog Man Star」のコンプリートエディション版を買った。
少し高かったが買うだけの価値はあった。
買うまではファーストアルバム「Suede」を主に聴いていて、「Dog Man Star」はそんなに聴き返さなかった。
「Dog Man Star」は、バーナード・バトラーが作成途中で抜けたアルバムで、出来が中途半端だったイメージがあった。(実際は殆ど完成させた後に脱退)
今回リニューアル版を買った理由は以下の通りである。

・アルバム未収録の曲が未発表曲も含め、複数入っている。
・ステイトゥギャザー(Stay Together)のライブ映像がある。
・ステイトゥギャザーがリマスタリングされて入っている。

バーナード・バトラーのギターに飢えている俺としては買わない訳にはいかなかった。
しかし、予想に反してアルバム未収録の曲だけではなく、元々アルバムに入っていた曲も良かった。
以下が良かった曲

・We Are The Dog
・Heroine
・New Generation
・The Asphlt World
・Stay Together
・Whipsnade
・We Believe In Showbiz

バーナードがリマスタリングをした所為もあると思うが、個人的に以前と違った理由がIPodに落として聴いた所為もあると思っている。細かい理由が解からないが、特にITunesIPodにイコライザ設定はしていないのだが、低音(ベース音)が上がり、音に厚みがでている印象である。
元々アルバムに収録されていた曲「We Are The Dog」と「Heroine」のギターが良かった。
「We Are The Dog」は、本当かどうかは解からないが、どっかの雑誌で曲名に「We Are The Dog」(俺達は犬)と付けられてバーナードが怒ったと書かれていたが、そりゃこんないい曲にこの曲名は無いよなと思ったし。
「Heroine」はもうバーナードのギターがカッコいい。ファーストとは少し質が違っているが、アクの強さが残っているギターである。スウェード以降のギターも好きだし凄いのだが、やはりこのアクの強さ、グラマラスで艶やかなギターも良い。そのギターが、ボーカルのブレッド・アンダーソンのグラマラスなボーカルと絡み合うと、これまた凄い。
普段はあまりこういったビジュアル系というか、グラマラスな音楽は聴かないのだが、バーナード・バトラーのギターによって単なるグラマラスなイメージで終わらないロックミュージックになっている。

そしてステイトゥギャザーのライブ映像である。
もうバーナード・バトラーがカッコ良すぎる。
頭フリフリ、ケツもフリフリでギターを掻き鳴らすのだが、いやはや凄い。
ブレッド・アンダーソンには失礼だが、途中何度も「ブレッドはいいから、もっとバーナードを写せ!」と思ってしまった。
最後に他のメンバーが舞台袖に戻っているなか、関係なく一人で最後のギターフレーズを引き終わり、悦に浸る所。
舞台袖に戻りながら、ギターを掻き鳴らす所。
カッコ良すぎである。

最後にアルバムの「Stay Together」なのだが、俺はライブ映像に流れているバージョンのギターの方が好きである。

興味のある人はぜひ、以下の「Stay Together」のギターを聴いてから、「Dog Man Star (Reissue 2CD+DVD)」を買うことをお勧めします。
凄まじいギターです。
プロデューサー等の裏方に満足してないで、早く新しい曲でギターを弾いて貰いたいものである。

Suede

Suede

ピープル・ムーヴ・オン

ピープル・ムーヴ・オン

フレンズ・アンド・ラヴァーズ

フレンズ・アンド・ラヴァーズ

ヒア・カム・ザ・ティアーズ

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板尾創路の脱獄王とエッセンシャルキリング

「エッセンシャルキリング」を、色んなものが被っている「板尾創路の脱獄王」と比べながら観た。
  

あまりこういう観賞の仕方は良くないとは思うが、前回「しんぼる」と「127時間」で同様の観かたをして、互いにより深く鑑賞できたと感じた。
今回もそれにならって感想書こうと思う。


以下はネタバレになるので、「板尾創路の脱獄王」と「エッセンシャルキリング」を観てから読んでください。



まず両映画の共通テーマは大きな括りでいえば「逃亡」である。
「逃亡」の目的はこれまた大きな括りでは「家族」に会う為。
その「家族」へ向かい「逃亡」する主人公には言葉(セリフ)は必要ない。
「家族」への「逃亡」は「本能」であるから。


片や本能的に脱獄を繰り返し。


片や本能的に人を殺しながら(女子供を除く)、飢えをしのぐ為、蟻や木の皮、生魚を食らい、果ては子連れの母親の乳まで吸う。



それらの行為は互いに主人公にとってエッセンシャル(本質的・必要不可欠)なものであるから。



・シチュエーション

板尾創路の脱獄王

主人公鈴木雅之は無銭飲食で捕まった後、拘置所で2度脱獄を繰り返し刑務所に入れられる。
刑務所でも脱獄を繰り返し、その事によりどんどん罪も重くなり、刑務所からも脱獄が難しくなっていくがそれでも脱獄を繰り返す。


エッセンシャルキリング

主人公ムハンマドはアラブ人兵士で、アフガニスタンで一度米兵に捕まる。収容所に送られるが、一言も口をきかないムハンマドは拷問される。その後軍用機で別の場所へ移送され、雪山を護送車で移送中に事故で車が崖から転落する。その事故に乗じてムハンマドは極寒の中、逃亡する。
極寒の中を兵士達に追いかけられながら、故郷に向かう。


・一言のセリフも無しに演じきる才能

これら2つの映画の目玉はセリフ抜きで主人公を演じきった、両俳優だろう。

板尾創路

一個もセリフ無しで、その表情のみで演じきる。
板尾創路の脱獄王」では、他の映画で観れない長髪で髭面のちょっとワイルドな板尾さん。
芸人故にコミカルな役が多いが、このような演技もできる。
前にも書いたが、ここ2、3年位でどんどん演技が上手くなっている。
「空気人形」「蘇りの血」「武士道シックスティーン」「さや侍」と最近出演した映画はとても良い。
もっと色んな「板尾創路」を映画で観たいものである。


ヴィンセントギャロ

前回監督したブラウンバニーの評判が散々だったからかは知らないが、最近あまり見かけなかった。(ジョンフルシアンテが参加しているサントラは良い)
この役にヴィンセントギャロを選ぶとはいいセンスである。
今回ヴィンセントギャロは珍しく体を張っている。
体を張るだけの映画だったという訳だろう。
こういうセリフ無しで延々と演じきれる役者は、海外でもそんなにいない。


男前で個性的。スターというには少し違う。独自な表情、存在感が二人にはある。


・共通点

囚人服の色、看守からの虐待、戦争の影

この中で一番個人的に気になっているのは囚人服の色の一致である。
エッセンシャルキリングはいいとして、なぜ板尾創路の脱獄王は囚人服の色としてオレンジを選んだのか。囚人服はオレンジの他に青も存在するが、これらは海外映画を意識してなのか。

※後日追記
昔の日本の囚人服はオレンジだったようで、俺の勉強不足でした。映画の修羅雪姫(梶芽衣子主演版)を観て気づきました。


・ヒロイン


予告だけではなく、本編でも上手いこと挿入できてれば

板尾創路の脱獄王ではヒロインは予告編のみ存在する。
これはこれで面白いのだが、本編でも観たかった。
まあ、男の映画という言い方もでき、その分國村準がビシッと締めているのだが。


ヒロイン?

雪の中、家にいきなり現れたムハンマドを一晩看病してあげた、口が聞けない女性。
恋愛に発展するかと思いきや、女性は翌日ムハンマドに立ち去る事を即す。
ムハンマドはもう少し居たい、と感じさせるいじらしい表情を浮べるが、逆らわず女性からもらった白馬に乗って家を後にする。


・エンディングと総括

両映画のエンディングについての詳細はここでは書かないが、両方とも「目的」は成功していない。あるいは成功していないと推測される。
エンディングの描き方は違うが、それぞれ「らしさ」が出ている。

先日テレビでフェルメールについて話していたのだが、そこでフェルメールの絵は余計な物を削ぎ落として描かれる「引き算」での表現と言っていた。まさしくこの両映画は「引き算」で表現がされている。

余計な物を削ぎ落としてエッセンシャルな物で、両主人公のエッセンシャルな行動、行為を表現した映画。

最後に。
板尾さんに関しては最新映画の「月光ノ仮面」がモントリオール映画際に出品するという事だが、沖縄映画祭の状態から修正を加えているのだろうか?前にも書いたが、個人的な感想として最後の落ちに向けてのシーンが足りていないと思っている。しかし決して駄作ではないので、どうにか修正されていて欲しいものである。
あと、ヴィンセントギャロについても「Promises Written in Water」という最新映画があるらしい。ヴィンセントギャロの映画についてはもちろん内容も楽しみなのであるが、前回の映画といい、今回も「えっこんな美人女優が脱ぐの?」というシーンがありそうである。これもヴィンセントギャロの才能なのか。

板尾創路の脱獄王[DVD]

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板尾日記5

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ブラウン・バニー [DVD]

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ブラウン・バニー

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127時間としんぼる

「127時間」を観た。

監督がダニーボイルで評判も中々だったのだが、これだけではわざわざ映画館に観に行かなかったし、感想もここには書かない。
今回ここに書こうとした理由は、テーマが松本人志監督の「しんぼる」と被っている部分(ほとんど同じかもしれない)があるからだ。


以下ネタバレがあるので「127時間」と「しんぼる」を観てから読んで下さい。


まず、「127時間」と「しんぼる」の共通のテーマは「脱出」だろう。
閉塞した、袋小路な状況からの「脱出」。
今の時代への、あるいはこういう状況に陥っている人達に向けたメッセージ的な映画とも捉えられる。
このテーマを各々の監督がどの様に表現しているのか比べながら、感想を書いていこうと思う。


・シチュエーション

「しんぼる」は主人公がパジャマ姿で目覚めると、いきなりそこは白い壁に囲まれており、見上げると天井は見えない空間に閉じ込められている。
壁に突き出ていた物(チンコ)を押すと壁からたくさんの子供の天使(?)が現れたと思いきや、チンコだけ残して壁へと戻っていく。そして、それらのチンコを押すと色々な物が出現する。


一方「127時間」は主人公がユタ州のキャニオンランズ国立公園への一人旅の途中に、事故(あるいは自ら招いた事)で谷間に落ち、その時崩れてきた岩に腕を挟まれ抜けず、その谷間から出れなくなる。

「しんぼる」の閉じ込められる空間は「造形的」で、「修行」「実践」「未来」の3つが存在する。
チンコを押すと物が出現する始めの「修行」空間は、出てくる物の種類や、無限に出てくる事。髪型、パジャマのデザイン等から少年期を表していると推測される。
「実践」空間は青年期〜現在を表し、「未来」空間はそのまま現在〜未来。


対する「127時間」は現実的な「大自然」の中。所持品は水やロッククライミングや旅道具といった「有限」な物。もちろん「現在」を表しているが、主人公の回想や幻想?からは少年期や青年期といった過去や、子供のいる「未来」も表している。


・脱出と脱出する為の試行錯誤

「しんぼる」に関していえば、最終的に「脱出」という事はない(あるいはできない)という事もできる。
しかし、ターンニングポイントというか、ブレイクスルーというか、はじめの「修業」からの「脱出」がある意味「脱出」方法や、「脱出」する為の試行錯誤が表現されている。
「しんぼる」の主人公は、始めそれこそ「手探り」な形で、失敗やゲガ(打撲)を繰り返して「脱出」を試みる。そして試行錯誤の結果、始めの扉(あるチンコを押すと壁に出口が出現)を抜け、その奥に存在する外への出口と思われる扉の鍵も空けられた。これで「脱出」できると思いきや、始めの扉と出口の扉との距離が短く、出口の扉が引き戸になっていた為、始めの扉が閉じられると出口の扉も開く事ができなくなった。
始めの扉と出口の扉の間に閉じ込められた主人公は、途方にくれる。
しかし「横」の壁から風を感じ、何気なく襖を開ける要領で、壁を横に引いてみると前方には「通路」が存在した。横の壁だと思われる物は片引き戸の扉だったのだ。
僕はこれが松本人志の初めてのブレイクスルーの方法(あるいは感覚)を表していると解釈する。
「出口」という物は「正面」だけではなく「横」にも存在し、その存在に気付けば案外簡単に扉は開く。

そして「通路」を駆けぬけると、また前と同じ様な「空間」(実践)に出る。
前と違う所は、周りが暗い。天使が壁から現れチンコを残してまた壁に戻るのだが、それらの天使は前の空間では子供だったが、この空間では青年(大人?)の天使である。
それらのチンコを押してみると、今回は何も起こらない。(実際は別の場所で起きている)
上を見上げると、一人天使が自由そうに飛び回っている。

それに向かって、チンコの突起を使いロッククライミングの要領でよじ登る。(駆け上がる)
「実践」では試行錯誤というより、状況を確認した後は「上」に向かって駆け上がるのみである。

そして駆け上がった結果、待っている次の空間(未来)の背後の壁には「世界」の地図が浮き出て、前方には大きなチンコが存在する。



一方「127時間」は「試練」を乗り越えるという形で「脱出」は明確に存在している。
脱出の為の試行錯誤は、「しんぼる」の「修行」の時とは違っている。
主人公は大人(年齢的に)で旅慣れており、こういう状況に対する為の知識もある。成功はしないが、色々な試行錯誤の仕方が「しんぼる」のそれとは違い、知識や技術を感じさせる。

主人公は早い段階で、最終的な脱出方法は解かってはいるが、それをする事によるリスクがデカ過ぎる為、他の方法で脱出を試みる。
しかし、主人公「1人」で、今手持ちの「道具」を使ってでは他の方法では脱出できない。
自分のションベンを飲んででも、それを避けたいと思い、死ぬ寸前まで決断できなかった方法。
中国製の切れ味悪すぎる、小さな万能ナイフを使っての腕切断。
「127時間」で表している「脱出」はつまるところ、「中国製の切れ味悪すぎる、小さな万能ナイフを使っての腕切断」程の「試練」を受け入れる「覚悟」と「決断」だと思う。
(他者(家族も含め)との繫がり、助け合いも必要なものとして描かれているがそれについては次に書く)


・他者の描き方、映画の方向性、そして子供
「水」の描き方の違いや、閉じ込められたら両主人公とも、叫んで「助け」求める所。登場人物が少なく(ほとんど1人)ても飽きさせない工夫。といった他にも比べると面白い所はまだあるのだが、長くなったので割愛する。
今回「しんぼる」と「127時間」の1番の違いは何かと考えた所、「他者」がキーワードになっていると思った。

天使をどう捉えるかにもよるが、「しんぼる」で最後まで主人公と直接関わっている「他者」(人間)は現れない。理由は色々あると思われるが総じていえば、「松本人志」が演じて監督をしているからだと思う。
当たり前だが、他者がまったく描かれていない訳ではなく、「しんぼる」の主人公はチンコ(しんぼる)を通して他者と関わっている。

「127時間」の主人公は谷間に閉じ込められる迄は、他者との関わり合いには消極的(むしろ必要としない?)だが、閉じ込められてからは他者のありがたさや大事さが描かれており、最後には主人公が他者に間接的にも、直接的にも助けられる。

「しんぼる」はあくまで「自分」1人を描いており、「松本人志」の内(精神世界?)に向かった求道的な映画。

「127時間」は・・・あれ?今書いていて気が付いたけど、「しんぼる」は宗教的な物も感じてたけど、「127時間」も宗教的だな。

結局「しんぼる」は仏教的(アジア的?)であり、「127時間」はキリスト教的(欧米的?)という事か?

最後に「子供」についてだが、僕はまだ子供がいないのでなんとも言えないが、「しんぼる」には子供の誕生を予感させ(次作さや侍では描いている)。「127時間」では主人公が想像する未来の主人公の息子が最後の決断の後押しをしている。

「映画」を観た当初の感想としては「127時間」の方が面白かったと感じていたが、こうして比べて、掘り下げると、いやはや「しんぼる」もなかなか。というか、内容や方向性でいうならばこうしてみると「しんぼる」方に惹かれるな。

「脱出」というキーワードの映画がもう2つある。
それは「板尾創路の脱獄王」と「エッセンシャル・キリング」である。
「エッセンシャル・キリング」はまだ日本未公開なので、観た後今回のように「板尾創路の脱獄王」と比較して感想を書けたらと思っている。

さや侍

久々の更新。
さや侍を観た。

予告の動画を観て、楽しみな部分もあるがあまり好きではない、いかにも感動を誘うようなものも感じていた。
実際は、良い感じで感動した映画だった。
といっても100点満点かと言われるとそうでもないので、僕にとってのマイナスだった所を先ず述べる。

以下ネタバレな部分もあるので、映画を観てない人は観てから読んで下さい。


・殺し屋3人の掛け合い
出だしの暗殺失敗シーンは単純に面白く、さや侍のヘタレさも出てて良かったのだが、その後の3人の掛け合いが微妙だった。お竜(りょう)の演技は良く、ゴリゴリ(腹筋善之介)に「どういう事だよ!?」と何回も被せさせたりしていたが、いまイチだった。状況説明の為なのか、絵変わりに必要だったのか、あまり必要性を感じなかった。


・「30日の業」のネタ(人間花火と襖破り)
まあ、これは好みの問題で個人的にあまりセットが大掛かりなお笑いネタは好きではない。(人間大砲は良かった)

人間花火と襖破りはお笑いというよりも感動の為の、前フリ的な意味もあるのだろうけど、それも含めて。最後では感動したのだが、人間花火と襖破りの箇所に関しては予告でも感じていたあまり好きではない感動だった。


他にも細かい所ではあるのだけれど。
そして、良かった所。

・野見さん(演出込み)

「30日の業」のネタは野見さんの一生懸命さが良くて成立している。松本さんでも演じられたのかもしれないが、その場合は見せ方が変わっていたと思う。
そして今回の野見さんの見せ場は切腹シーンであろう。これに関しては普通の役者では出せない、野見さんの「表情」があった。
僕がこの映画で一番感動した箇所でもある。
辞世の句を読まず、娘に微笑みかけた後いきなり切腹し、介錯人が首を切ろうとした所を、血だらけの手を上げ制止して、切腹用の短刀を腹から抜き、自分の鞘に納める。
血だらけの手を上げ介錯人を制止する時の野見さんの「表情」。
それはまさに野見さんにしかできない「表情」であった。
感動シーンはこの後にとたえ(熊田聖亜)と虚無僧(竹原ピストル)のシーンもあるのだが、映画「さや侍」で核となるのはこのシーンだと思う。


・たえ(熊田聖亜

最近の子役は演技が上手いな。この子がいたから主役が野見さんでも成立したというのは本当。かわいいし、ヘタな大人役者顔負けの演技だった。


・板尾さん

今回の松本人志監督作品として何が楽しみだったのかといえば、やはり板尾さんだろう。役者としてだけではなく、脚本にも参加している。
僕は松本さんは凄い人だと思っており、尊敬もしているが、表現者としては、松本さんより板尾さんに惹かれている。
今回元々は殿様役だったのを、板尾さんの要望で門番役になったという事だがこれは正解だった。むしろ板尾さん以外の役者だったらどうなっていたか想像できない。
役者としての板尾さんはここ最近どんどん上手くなっている。
僕の中では今のところ「空気人形」が板尾さんのベスト・アクトだと思っているが、今回もいい感じで演技している。
ただ板尾さんに関しては、板尾さんが監督としての最新作「月光ノ仮面」が気になる。
僕は個人的に板尾さんに注目しており、わざわざ「月光ノ仮面」を沖縄映画際にまで観に行った。
既に「月光ノ仮面」を観ているのである。
なにが言いたいのかというと「月光ノ仮面」公開前にもう一度編集をやり直していただきたいのである。というのはあるオチがあるのだが、今回そのオチの意味が解からなかった。その解からない理由が僕の個人的な考えでいうと、そのオチの前のシーンが足りていないと思われるのである。今回の撮影はスケジュール的に厳しかったらしく、また既に撮影は終了しているので追加撮影は難しいと思われるが、なんとかならないだろうか。


・発想力

松本人志監督作品で共通してなにが凄いといえば、やはりアイデア「発想」だと思う。
「映画」として松本人志作品をクサす人がいるとしても、これらの「発想」をクサす事はできないであろう。
正しくないのかもしれないが、さや侍が作られた流れは、切腹がまずテーマにあり、野見さんを主役にしてみたいという思いがあり、その野見さんから「さや侍」を作り出した。
そしてそれらを纏めて答えにしたのが、ラストの切腹シーン。
切腹とは「プライド」なり。今回の映画からは曲解すれば「ヘソ曲がり」とも取れるのだが。
当たり前かもしれないが、プライドにせよヘソ曲がりにせよ松本さんの中にある物。
娘(てら)さんが生まれる前の松本さんだったら、この切腹で終了だったのかもしれない。
しかし今回その後に娘さんへのメッセージ(辞世の句)がある。
簡単に言えば「娘への愛情」である。
「娘への愛情」があるなら、「プライド」を捨てろという事もできる。
実際、さや侍が死んだあと娘(たえ)はどうなる?という突っ込みが
他のサイトにあった。
でも、娘(たえ)の今後については、とりあえず生きていけるだろうなと読み取れるシーンがある。
それは最後の墓参りのシーン。
さや侍の墓を拝んでいる娘(たえ)のそばに若君が現れる。
そして一緒に拝んでいる所に、さや侍(幽霊?)も現れる。
「30日の業」のネタ(首芸)で2人を笑わす。ネタをしながら2人を追いかけるのだが、いつの間にか、さや侍がいなくなっており、2人が楽しく追いかけっこしている。
笑顔をなくしていた若君と楽しく遊んでいるのである。
若君と楽しく遊べる娘(たえ)をお城の者が大事にしないとは思わない。
そして2人の仲を最後に取り持ったのはさや侍
このシーンは娘ができた松本さんの「娘への愛情」が作った物だと思う。
しかし、これは作り話。
今後現実には「プライド」と「娘への愛情」で揺れる松本人志が存在するとも想像できる。

ロックは主に洋楽を聴く。

自分にとって、別世界の「扉」となってくれるロックは、洋楽が殆どである。
先日のブログで紹介した「Bad Religion」の「American Jesus」は別世界の「扉」というより、単純に出だしのギターがカッコよくてショックを受けた。これはその後の「扉」に出会う為の「扉」といった感じである。
で、次に何にどの音楽に感動したかというと、これもロックとは違うのかもしれないが、2曲ある。
「Depesh mode」の「Personal Jesus」
Jamiroquai」の「Virtual Insanity」
この2曲は今でも聴く曲。
「Personal Jesus」はシングルでの裏ジャケの白黒写真のイメージの曲。曲を聴きながら、白黒の世界で、まわりの壁がコンクリートの部屋をイメージしていた。
「Virtual Insanity」は当時売れていた曲で、これも聴いていると、この曲の世界に浸れるといった感じ。
これらの曲にハマッてから、少しずつ洋楽を聴くようになっていく。
次回は小説にしようか、映画にしようか。

Personal Jesus

Personal Jesus

Travelling Without Moving

Travelling Without Moving

音楽、映画、本、ゲーム等の感想を書いていこうと思う。

以前は、とあるサッカー選手に関してのブログだった。
その選手は現在JFLツエーゲン金沢でプレーしている。
一応過去のブログは残してあるので、興味があったら読んで下さい。
その選手にちなんで、このブログのテーマは、竜。ドラゴン。
音楽にしろ、映画にしろ、凄い出来のものは、別世界へといざなってくれる「扉」である事から、ブログのタイトルを「竜扉」に変えた。
とりあえず、次回のブログでは音楽について。
僕はロック(主に洋楽)が好きなのであるが、初めて本当の意味でカッコいいと思い、衝撃をうけた音楽について書く。
これはロックというよりパンクに当たるのかな。
その始めての「竜扉」は「Bad Religion」の「American Jesus」

Recipe for Hate

Recipe for Hate

2、3年後ならこの状況も納得できるんだが・・畜生、もったいないな

最終的にツエーゲン金沢に移籍を決めたのはもちろん久保なのだろう。
しかし、サンフレッチェ広島への復帰時と同じく、この移籍の「流れ」は納得できない。
まだ、J1でやれるのに。そして久保竜彦の凄い、素晴らしいプレーをもっと観られるのに。
納得できないまま、それでも久保竜彦のプレーを観たく、行ってきました西が丘サッカー場
その感想なのであるが・・・失礼を承知で書こう。
これがJFLのレベルなのか。
両チーム共、一つ一つのプレーの精度が低い。
トラップ、パス、ドリブル、他にも上げたらキリがないが。
こうなるとどういう事になるかというと、試合にならない。
開幕戦という事もあったのかもしれず、徐々に落ち着きだしもしたが、それでも。
そんな中、久保竜彦はというと、まあ久保竜彦なのだが、責任感なのか、試合内容からなのか、頻繁に声を出し要所要所で支持を出していた。どんな支持かというと、主にパスに対しての支持なのである。
両チーム共、ボールに密集するきらいがあり、久保は広く展開してスペースを作ろうとしていた。
例えば直ぐ縦パスを出すのでは無く、センターバックに一度戻し、そこからサイドに回して展開してくといった具合である。
しかし、ビルドアップ時でのゆっくりした場面ではいいのだが、逆サイドへのロングフィードでの展開ではパス制度が低いので、なかなか成功しなかった。
で、久保自身のプレーはというと、調子自体はどちらかといえば悪いといった所。
とにかく、敵味方、両選手のプレーが全体的に粗いので、試合が落ち着かず、ボールを抑える為に、久保が後ろ向きのポストプレーをしなければならなく、それがうまくいっていなかった。まあ、2,3人に頻繁に寄せられたし、元々上手くない後ろ向きのプレーだからなのだが。
しかし、前を向いてボールを持った時は流石である。調子が良くないにしても、ドリブル、パス、展開力といった所は他とはレベルが違った。久保が前を向いたプレーの時だけ、試合が締まるというか。
久保に対してのラストパスは出てなかったが、それ以前の問題なので久保がある程度、司令塔にならざるえない状況である。
試合には負けてしまったが、実力的にはツエーゲン金沢の方が上で、試合内容では押していた。ラッキーなロングシュートを決められて負けてしまったが、敗因としては、ツエーゲン金沢がもう一点取れなかった所だな。
今日観たツエーゲン金沢で気になった選手は左サイドの11番と運動量豊富な中盤の7番といった所。
11番に関してはセンターリングの精度を上げ、センターリングの引き出しが増えれば今後の戦いで攻撃の一つの形を作れる。服部やドゥトラの様になれるか。
そこに7番が中盤を走り回り、掻き回せれれば。
次観れるのは町田か。
畜生。観に行く事になりそうだが、納得できねぇなぁ。